Profile
腕時計を落として壊した実体験から、1981年に「落としても壊れない丈夫な時計」というテーマを掲げ、耐衝撃構造の時計の開発をスタートする。 2年を費やし「G-SHOCK」として商品化。その後、商品企画に移動する。1996年に漫画の月間誌でG-SHOCKの開発ストーリーが漫画化される。 その後、テレビに多数出演する。1997年ロンドンで発行された「THE FACE」という雑誌でファッションに最も影響を与えた世界の100人に選ばれる。
1994年に外装素材にメタルを用いたフルメタルG-SHOCK実現の為のプロジェクトをつくり1996年にフルメタルG-SHOCK「MR-G」として商品化する。 2012年に東洋経済新報社より仕事の教科書として「G-SHOCKをつくった男のシンプルなルール」を出版する。 2016年に18K-GOLD・G-SHCKの実現の為に、DREAM PROJECTを作り2018年のG-SHOCK35周年に商品化する。限定35本が予約で完売となる。 2019年に初代G-SHOCKが未来技術遺産に認定される。
現在は「Father Of G-SHOCK」として世界各国のG-SHOCKのイベントに参加し、開発ストーリーを伝えることによって世界観を伝える活動をしている。また、小学生から大学院生に対して社会人授業多数、企業向けに「新たな価値創造」「誰でも上手に出来るプレゼン技術」など講演多数、2023年11月退職後の12月、クリエイティブリーダーとしてデザインリーダーシップ賞2024を香港で受賞 2024年1月から経験ノウハウを伝える「ビジネス塾」を主催している
Father of G-SHOCK
唯一無二の
タフネスウォッチ
が生まれたワケ
1980年代初頭、腕時計は「精密機器」であり、落とせば壊れるのが当然とされていた。そんな常識に挑んだのが、カシオ計算機に入社して5年目の設計者・伊部菊雄である。きっかけは、愛用の時計を不注意で落として壊してしまった瞬間だった。「時計は壊れるもの」という当たり前への疑問が、彼の心に火をつけたのだ。
開発目標は“トリプル10”──10メートルの落下に耐え、10気圧の防水を備え、10年電池が持つこと。無謀に思える理想に挑み、わずかな仲間と200を超える試作を繰り返した。会社の窓から試作品を落とし続ける日々を経て、モジュールを宙に浮かせる中空構造と、衝撃を分散する五重耐衝撃設計という革新的な仕組みにたどり着く。
そして1983年、ついに初代G-SHOCKが誕生した。精密機器を“壊れない”という真逆の価値へと転換したその時計は、ストリートからミリタリー、アウトドアに至るまで幅広く受け入れられ、瞬く間に世界を席巻する。
唯一無二のタフネスウォッチが生まれたのは、伊部の革新への飽くなき探究心と、諦めない心の結晶である。そしてその精神は今もG-SHOCKのDNAに脈々と受け継がれ、「タフネス」という新しい価値観として世界中の人々に息づいている。
伊部菊雄の挑戦は
これからも続く
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初代G-SHOCK 開発者「伊部菊雄」
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200を超える失敗の向こうに|
G-SHOCK開発者・伊部菊雄の履歴書
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